自己紹介

1人になると悲しくなる。

この感情はなんだろう。

 

 

元々、初対面の人と話すのが苦手で極度の人見知りの私は『キャラクター』をつくろうと思った。

 

わたしは大学生になって

明るくて天真爛漫な今の『小夏』という

キャラクターを選んだ。

キャラクターがないと今でも人とうまく話せない。

 

 

どんな話をしても君たちはその完成品しか見てくれないなと思う。

わたしが作り上げた人格なのだから仕方がないのだろうとも思う。

 

こういう、人格が本来の自分と異なる時は私は自分を俯瞰している。

三者として、自分が見える。

そして周りの人たちが何を求めて何を話したいのかが手に取るようにわかるし考えてしまう。

それに応えようと考える。

私といるとみんなが楽しいと思って欲しいし、小夏は楽観的で楽しい人間だと思って欲しいのだろう。

 

私のエゴ。

 

私は末っ子で、

姉はよく怒って泣いていた。

母親もそれを見て悲しくなって泣いていた。

父親は無関心でたまに家族の輪に入っては怒っていた。

家庭の中で、家族みんなの機嫌を取るのはわたしなのだと小さい頃から自覚していた。

みんなのハシゴになる。

みんなが好きそうな自分になる。

今思うといつの間にかそれが、癖になっていたんだろう。

 

学校でいじめられて無視され続けた日々も帰ったらまず玄関でとびっきりの笑顔をにこーっと作る。

リビングに上がって、「楽しかったー!」と一声。

これが日常になっていた。

毎日が過ぎていくのをただただ感情のないまま待っていた。

この苦痛がいつ終わるのかと待っていた。

 

姉は学校であったことを全部母親に話していた。

悲しかったこと、ちょっと嬉しかったこと、誰かに睨まれたこと、全部全部話していつも泣いていた。

 

そんな中でわたしは自分の話なんてできなかったし、みんなが笑顔になったら私のいじめも終わって全部が仲良く楽しくなると思っていた。

だから嘘の楽しい学校の話をしてみんなを安心させるんだ。

泣くのはみんなが寝てからか1人で散歩に行った時だった。

止めどなく、涙が溢れてくる。

家に帰ったら玄関で笑顔を作る。

この永遠ループだ。

 

幼い頃から家でも学校でも人の顔色ばかり伺って生きてきた私は、ある時自分がなくなった。

 

もう1人の自分が見えるようになっていた。

 

それからは小学生の頃から割と賢く人付き合いをしていて、話している人が一人一人求める友達像になっていた。

 

私にとってそれは全然苦じゃなかった。

そうじゃない生き方を知らないからだ。

 

今もそれは続いている。

でも前よりは人格が統合されたような気がする。

その人に対して一人一人ではなくその場に対してに変わった。

するとどうしても、その中の1人に合わないとズレを意識してしまう。

そう言えばこれは私じゃなかったな、と強く認識してしまう。

そうして団体にいる時にそれを自覚してしまったらいきなり、悲しくて仕方なくなる。

自分の発する言葉が全部気持ち悪く聞こえる。

周りを見ると人は人であって今までの長い年月に焦りを覚える。

自分でも元来の自分がわからない。

三者として自分のことを見えていない時に元来の自分なのかなとも思うが、わからない。

 

これをもし、誰かが読んでくれて私のことをわかってくれたらいいなと思いながら書いてる。

わかって欲しいんだろう。

 

私だって人間だし、私だって嫌なことは嫌だなと思う。

でもみんなでいる時はみんなが知ってる私でないとだめなんだ。

 

私だってみんなの前で泣きたいなぁ。

悲しい時に泣きたいしみんなに慰めてもらいたい。

そんなことを自分から言えない弱さが私を苦しめているんだね。

周りの泣いてるあの子や人に怒れるあの子が羨ましくも思う。可愛くも思う。

守ってやりたいとも思う。

 

私のこともいつか自分で守れたらいい。