私の宝箱

特別な宝箱って人に見せるものじゃないなと思いました

本当に本当に大事なものは人に言ってしまうとその価値が下がるような気がします

なんでだろう

みんなが知ってるビックニュースより

私だけが知ってる君の秘密の方が

大事でしょ?

 

あと私の大事な宝箱は具現化できない

好きで好きでたまらなくてそれを人に言ってしまうとね、人はそれを言語化しようとするの

あぁ、それね

あれはあぁだよね

そんな簡単な話じゃないのにね

言語化できないくらい大切なものは人には話さない

 

人は新しいものや新しい人を「そのもの、その人、その人ヒトリヒトリとの関係性」で認識できないんだと思う

 

今までに知っている類型に当て嵌めないと処理しきれない

この人はこういうタイプねとか

「ノリが良くて好かれそうなタイプの人」「ちょっとめんどくさいタイプの人」

あぁ今までにもこんな人いたなっていう型に無意識に当て嵌めてしまう

 

だからあなたの中で知ってる言語でそれについて話すし知ってるものに置き換えるんだ

 

宇宙人を見てもそれは宇宙人なんだ

知らないのにそれの名詞をわかったふりする

 

イデアのようなものが本当にあって

それがないと困惑するのかな 理解できないんだろう

 

たとえば本当に心から好きで一緒にいる時間を大切に砕けないように守りたいって思うような人がいて

その人のことは誰にも話しちゃいけない

他の人の手に触れるとすぐに砕けちゃうから

私が私の手で守る

 

人間は本当に醜い生き物なんだろうね

かなしい

無論私も含め

人の幸せを心から喜べない

どこかで羨ましいと思うし

どこかでちょっとの不幸を望んでるんじゃないかな

私が人に対してそうなのかはまだわからないけど

それに気付いてなかった昔に

人と宝箱の話をしちゃった時に相手からそういう類の感情を受け取ったことがある

かなしいよ

 

 

なにもかも純粋な心で受け止めたいね

すごく傷ついた時みたいに