訴え



たまにどうしようもなくなる時がある。

何もできないときがある。これは病んでるからとかそんなことではなくて

虚無という言葉でもなくて言葉に言い表すなら

心がぎゅうっと押さえつけられていて海の中で息ができなくて苦しくもがいているようです。

私はこんな時に適当なやつだとか、何も考えてないやつだとか、計画性がないやつ、と時々思われて時々注意されます。

 

私の中では物事を考えて過ぎてしんどくなる故の結果なのに。

 

私は「逃げ」なんていう言葉の実写はないと思っています。

もしあるとするのならば少なくともそれは世に言う「逃げ」の意味合いではなく「前進」に近いかもしれません。

そこにいては自分が壊れてしまうという判断で決断をしたことです。

だからそんな風に捉えられるのはすごく悲しいことです。

でも世の中は甘くないという認識はしているので、怒りではなく悲しみになります。

 

たとえば私でいうと一人暮らしを始めたことです。実家が苦手でした。しんどくて鬱になったりもしました。

だからお金は全くないけれど一人暮らしという選択をしました。

父には一人暮らしをする前にしたいんだと相談すると、

「小夏がこの家からいなくなるのはすごく寂しいし、話し相手がいなくなるけど小夏のことを思うと、この家にいるとおかしくなって壊れてしまうと思う。自分の身を守るためにそうしないといけないと思うよ」

と言われました。

理由など何も言わずともそう言ってくれるのが素直に嬉しかったです。

あのへんてこな家族から私は世に言う「逃げ」をしたのかもしれません。

でもそれは私の身を守るための手段だったと思います。

母も父も姉も頑張っているのにすごく愛をくれるのになんであの家族はバラバラなのでしょう。

でも私なりにそれが世に言う「逃げ」にならように、たまに実家に帰って壊れたところを修復しています。積み上げてきたものだから、何十年かかるかわからないけど、少しずつ家庭を直しています。

 

 

学校に行かない子どもたちや自殺も同じです。彼らは「逃げ」をしたのではなく前進して自分の魂を守りました。

学校には行かなくてもいいと思います。自分の身を守るべきだと思います。

それで、たとえばいじめられたのであれば、いじめたくせに学校の教育を受けられて、授業に参加できているやつへの当てつけにいっぱい勉強したらいい。

あいつらよりいい学校に行っていい未来に自分ならできると思って見返したらいい。

 

私の周りには教師を目指している友達がたくさんいるけれど、学校に行かないことや社会にぶつかること、自殺をすることを「負け」だとか「その子が悪い」と思っている人がいる。

私はその考えの人に教師になってほしくないと思うし、子どもたちを少しでも楽にしてあげられないと思う。

だからそう思っている教師を目指している人間が一人でもこれを読んで何かを思ってほしい。

 

よく言うことだから、どうしても私には安く聞こえるけれど、たくさん傷ついて涙を流したことのある人の方がよっぽど美しいという。

私は今まで全員泣いているし全員暗くなったことがあるんだから、ただの慰めの言葉じゃないかと思っていました。

でも、いろんな人と関わっていく中で私とは全く違う考え方で違う世界に住んでいるんじゃないかと思うほどの人がいると分かった。

本当に人の痛みを考えようとしても考えられないのかもしれない。私にはその感覚は体感できないから実際のところはわからないが。

そういうことを考えると上のそれもあながち間違ってはいないのかもしれない。

人間は人間であることを考えることから本来の人間が始まるのではないか。

意味不明な羅列をしてあたかも考えているふりをして、「変わった人」を演じている人も私は好きではない。

物事を考えて押しつぶされて、誰かとそれを共有したり伝わるようにゆっくり言葉を選んで話し合うから、他の誰かや自分を守ることが出来ると思う。

 

もっと世界が優しくなってほしい。

みんなにも、もちろん私にも。

でも先程の通り、世界は甘くないことを認識している。寧ろ厳しい。

だから吐きそうになるし、心臓が動いてるのが苦しくなるほど押しつぶされる。

本当は世界が全部丸になればいいと思っている。

 

そう思って作った作品がある。

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煩雑からの独立

 

 

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物騒な事件や煩わしい世の中や押しつぶしてくる世界が嫌で、私の頭の中でできた世界は丸で出来ている。

人も車も横断歩道もビルも性格もすべてが丸になれば痛い角に当たらなくて済むのにと思って作った作品だ。

 

みんなはどうやって生きているのかたまに不思議になる。

どんな感覚で生きるという選択肢をするのか。

その理由は人それぞれなのか、はたまた根本の考えは人類みな同じなのか。

 

多分、この記事を読んでいる人は今まで自殺を完了した人はいないだろう。

このカクカクした痛い世の中で生きている。

つらくないのか。

そこに少なからず理由があると考える。

どんな些細なことでもいい。

人によってはおいしい食べ物を食べることかもしれないし、保護者の方への感謝かもしれないし、夢の為かもしれない…。

 

みんな頑張って生きているのだから、みんながみんなに少しでも優しくなればいいのにね。

 

生きにくい世の中は自分なりに「逃げ」て前進すると生きる意味を考えて自分を守りつつ生きることができるし(言い方を変えればみな死に向かう?)自分の愛する誰かに好きだと一生伝えることを生きがいにもできるよ。