技術の進歩
技術が進むのが早すぎたようだった
君の概念が言った
「なんのために生きてんの?」
なんのためだろう
金のため、両親のため、愛する人のため
じゃあなんで金があって両親は生まれて愛する人はいるのだろう
この世は誰のためにできて何のためにあるのか
蛙が聞いた
「僕は何のために生かされてるの?」
なんのためだろう
私は沢山沢山考えたけど
「ごめんね、わからないや。でもこれからの蛙達のためなんじゃないかな」
と答えた
蛙は「じゃあその蛙達の子供のまたその蛙達の子供の子供のずっと先は、安心して生きられるの?」
進みすぎた世の中で息が詰まるな
世の中は今「コロナ」渦だ
変な名前だなぁ
人間みたいだ
コロナはこのままいくと大抵の人間が1回はかかる
それがいつかかるか、どのくらいの症状なのかが重要なわけで
神様は私たちに時代が進みすぎたことを
教えたんじゃないか
もうすぐすると地球が終わるような気がする
もうすぐというのは私の生きている時間からの観点ではなく地球に人類ができて進化してという次元から考える
でも私はその時生きていて
その時はもしかしたらトカゲかもしれないし
あなたかもしれない
でも私は生きている
その地球が終わる瞬間を見ないといけないと思うとすごく怖くてなにもかもが闇で怖いんだ
私は空が怖い
広い空を見ていたら足がすくむ
崩れ落ちてしまうんだ
体が沢山の病気に侵された
命に支障があるかもしれないし、ないかもしれない
でも病があると気が落ち込む
そのついでに私には病が沢山ついてきたみたいだ
生きるのはしんどい
人間は恥ずかしいと思う
私は人間であることが恥ずかしいと思うことが稀にある
でもそれに気付くとそう思ってしまったことが人間であることのそれ以上に恥ずかしいことに気づき赤面する
私はいつも言うが死ぬということは選択肢だ
逃げでも負けでもなんでもない
ランチのセットメニューをご飯かパンかにするかのような選択肢と同じなのだ
私は今分岐点にいる
さぁ死のうかというところとでもまだ何のために生きるのかわかってないからダメだという思いと
私たちは何のために生きるのかを考えることが
生きるということなのだ
まとまりがつかなくなってしまった
私は今迷走している
なんのために生きるのか
死んでもいいのか
なんで病気になるのか
なんでこんなに生きづらいのか
なんで嘘をつかれて
嘘をついて
愛されて愛して
僕達は元は1つの概念なんだけどな
訴え
たまにどうしようもなくなる時がある。
何もできないときがある。これは病んでるからとかそんなことではなくて
虚無という言葉でもなくて言葉に言い表すなら
心がぎゅうっと押さえつけられていて海の中で息ができなくて苦しくもがいているようです。
私はこんな時に適当なやつだとか、何も考えてないやつだとか、計画性がないやつ、と時々思われて時々注意されます。
私の中では物事を考えて過ぎてしんどくなる故の結果なのに。
私は「逃げ」なんていう言葉の実写はないと思っています。
もしあるとするのならば少なくともそれは世に言う「逃げ」の意味合いではなく「前進」に近いかもしれません。
そこにいては自分が壊れてしまうという判断で決断をしたことです。
だからそんな風に捉えられるのはすごく悲しいことです。
でも世の中は甘くないという認識はしているので、怒りではなく悲しみになります。
たとえば私でいうと一人暮らしを始めたことです。実家が苦手でした。しんどくて鬱になったりもしました。
だからお金は全くないけれど一人暮らしという選択をしました。
父には一人暮らしをする前にしたいんだと相談すると、
「小夏がこの家からいなくなるのはすごく寂しいし、話し相手がいなくなるけど小夏のことを思うと、この家にいるとおかしくなって壊れてしまうと思う。自分の身を守るためにそうしないといけないと思うよ」
と言われました。
理由など何も言わずともそう言ってくれるのが素直に嬉しかったです。
あのへんてこな家族から私は世に言う「逃げ」をしたのかもしれません。
でもそれは私の身を守るための手段だったと思います。
母も父も姉も頑張っているのにすごく愛をくれるのになんであの家族はバラバラなのでしょう。
でも私なりにそれが世に言う「逃げ」にならように、たまに実家に帰って壊れたところを修復しています。積み上げてきたものだから、何十年かかるかわからないけど、少しずつ家庭を直しています。
学校に行かない子どもたちや自殺も同じです。彼らは「逃げ」をしたのではなく前進して自分の魂を守りました。
学校には行かなくてもいいと思います。自分の身を守るべきだと思います。
それで、たとえばいじめられたのであれば、いじめたくせに学校の教育を受けられて、授業に参加できているやつへの当てつけにいっぱい勉強したらいい。
あいつらよりいい学校に行っていい未来に自分ならできると思って見返したらいい。
私の周りには教師を目指している友達がたくさんいるけれど、学校に行かないことや社会にぶつかること、自殺をすることを「負け」だとか「その子が悪い」と思っている人がいる。
私はその考えの人に教師になってほしくないと思うし、子どもたちを少しでも楽にしてあげられないと思う。
だからそう思っている教師を目指している人間が一人でもこれを読んで何かを思ってほしい。
よく言うことだから、どうしても私には安く聞こえるけれど、たくさん傷ついて涙を流したことのある人の方がよっぽど美しいという。
私は今まで全員泣いているし全員暗くなったことがあるんだから、ただの慰めの言葉じゃないかと思っていました。
でも、いろんな人と関わっていく中で私とは全く違う考え方で違う世界に住んでいるんじゃないかと思うほどの人がいると分かった。
本当に人の痛みを考えようとしても考えられないのかもしれない。私にはその感覚は体感できないから実際のところはわからないが。
そういうことを考えると上のそれもあながち間違ってはいないのかもしれない。
人間は人間であることを考えることから本来の人間が始まるのではないか。
意味不明な羅列をしてあたかも考えているふりをして、「変わった人」を演じている人も私は好きではない。
物事を考えて押しつぶされて、誰かとそれを共有したり伝わるようにゆっくり言葉を選んで話し合うから、他の誰かや自分を守ることが出来ると思う。
もっと世界が優しくなってほしい。
みんなにも、もちろん私にも。
でも先程の通り、世界は甘くないことを認識している。寧ろ厳しい。
だから吐きそうになるし、心臓が動いてるのが苦しくなるほど押しつぶされる。
本当は世界が全部丸になればいいと思っている。
そう思って作った作品がある。


物騒な事件や煩わしい世の中や押しつぶしてくる世界が嫌で、私の頭の中でできた世界は丸で出来ている。
人も車も横断歩道もビルも性格もすべてが丸になれば痛い角に当たらなくて済むのにと思って作った作品だ。
みんなはどうやって生きているのかたまに不思議になる。
どんな感覚で生きるという選択肢をするのか。
その理由は人それぞれなのか、はたまた根本の考えは人類みな同じなのか。
多分、この記事を読んでいる人は今まで自殺を完了した人はいないだろう。
このカクカクした痛い世の中で生きている。
つらくないのか。
そこに少なからず理由があると考える。
どんな些細なことでもいい。
人によってはおいしい食べ物を食べることかもしれないし、保護者の方への感謝かもしれないし、夢の為かもしれない…。
みんな頑張って生きているのだから、みんながみんなに少しでも優しくなればいいのにね。
生きにくい世の中は自分なりに「逃げ」て前進すると生きる意味を考えて自分を守りつつ生きることができるし(言い方を変えればみな死に向かう?)自分の愛する誰かに好きだと一生伝えることを生きがいにもできるよ。
私の宝箱
特別な宝箱って人に見せるものじゃないなと思いました
本当に本当に大事なものは人に言ってしまうとその価値が下がるような気がします
なんでだろう
みんなが知ってるビックニュースより
私だけが知ってる君の秘密の方が
大事でしょ?
あと私の大事な宝箱は具現化できない
好きで好きでたまらなくてそれを人に言ってしまうとね、人はそれを言語化しようとするの
あぁ、それね
あれはあぁだよね
そんな簡単な話じゃないのにね
言語化できないくらい大切なものは人には話さない
人は新しいものや新しい人を「そのもの、その人、その人ヒトリヒトリとの関係性」で認識できないんだと思う
今までに知っている類型に当て嵌めないと処理しきれない
この人はこういうタイプねとか
「ノリが良くて好かれそうなタイプの人」「ちょっとめんどくさいタイプの人」
あぁ今までにもこんな人いたなっていう型に無意識に当て嵌めてしまう
だからあなたの中で知ってる言語でそれについて話すし知ってるものに置き換えるんだ
宇宙人を見てもそれは宇宙人なんだ
知らないのにそれの名詞をわかったふりする
イデアのようなものが本当にあって
それがないと困惑するのかな 理解できないんだろう
たとえば本当に心から好きで一緒にいる時間を大切に砕けないように守りたいって思うような人がいて
その人のことは誰にも話しちゃいけない
他の人の手に触れるとすぐに砕けちゃうから
私が私の手で守る
人間は本当に醜い生き物なんだろうね
かなしい
無論私も含め
人の幸せを心から喜べない
どこかで羨ましいと思うし
どこかでちょっとの不幸を望んでるんじゃないかな
私が人に対してそうなのかはまだわからないけど
それに気付いてなかった昔に
人と宝箱の話をしちゃった時に相手からそういう類の感情を受け取ったことがある
かなしいよ
なにもかも純粋な心で受け止めたいね
すごく傷ついた時みたいに
呉服屋さんで言われた言葉
死にたいときに、「ね、死にたいねー」って言える場所が欲しい
私の生きてきた道が正しかったって思える目印が欲しい
君はずっと消えないでほしいな
私が消えても私を守って欲しい
どんな私も好きになってくれる人がいないし
どんな私も好きになれる私がいない
誰かに評価されたいと望むほど私には自信がない
以前、呉服屋さんに行った時に担当の方が
「病は気から とよく言うしそれはわかるけど、じゃあ病にならないようにどうやって気(心)を強くしたらいいのかわからなかったの。」
と私に話した。
しかし、ある本に出逢ってその何年もの疑問に対する答えがわかったらしい。
「体と心は別個に考えるのよ。」
私たちはすごい確率でこの宇宙に選ばれた、生まれてきただけで沢山の人達や物事に恵まれている
だから自信を持てばいい
命を授かったことに誇りを持つ
風邪になったから、どこかを擦りむいたから、病気を患ったから、インフルエンザになったから、といっても傷ついているのは体だけで、心は別なのだと言う。
体が痛いからと言って心まで鬱にならなくてもいいんだよ。
そういう風に教えてくれました。
私も選ばれた奇跡の1人でありたい
不治の病はほんとうに不治の病なのだろうか
治らないけど毎日薬を飲まないといけない
自分がスマホを触る手が醜い。
自分が自分であることがしんどい
心と体は別のものとして考えたらすごく楽だ
私は私の体じゃない
私の体を殺したくなるときもあるけれど
私の心は死にたくない
病は治らないのかもしれないけど、
心を幸せにさせることはできる
好きな人といると幸せだ
だけどその好きな人を幸せに満足にさせてあげられない自分はまた、生きている価値がないと思う。
悲しいけど私は弱い
人生が短くて私が何もしなくて
他者を幸せにしたい
それができないなら私には価値がないように思う
私たちの気持ち
久しぶりに実家に帰って姉とちゃんと話した。
姉が少し話したいことがあると言って話してくれた。
もうたくさん、2人ともポロポロ泣きながら一生懸命話した。
姉曰く「おかしな家」に気付いたし、「頭のおかしいこの家の住民」についても気付けたらしい。
自分が狂っていたことも。
私がひとり暮らしを始めたこともこの「おかしな家」で狂った家族と狂った自分に気付いたからだ。
洗脳されていた、頭が麻痺していた。
今まで本当に辛かった。
姉と話したことで再確認できたことも沢山あった。
家を出た私が友人の変わらぬ愛にあぐらをかいていること、人に感謝する気持ち、素直に物事を受け止める純粋さ。
あらゆる所で何年か前の気持ちの私に戻った気もした。
考えないといけない。自分について思考していかないといけない。
まだまだ未熟な僕は色んな人に支えられてるんだ。
本当は有り得ないような愛に埋もれて目が見えなくなっていた。
彼らも私と同じ人間だ。
姉はパパもママも、人間だとわかったらしい。
その通りだ。
人間だ。当たり前のことだけど
愛の上にあぐらをかいてはいけない。
対人に与えられない程の愛をパパからも
ママからも友人からもおばあちゃんからも御先祖様からも隣の家の人からも色んな人から与えられている。
でも、彼らは人間だ。
信用してはいけないし、醜いし、愛をくれるし、愛おしいし、ムカつくし、有り得ない。
僕は元々、物心がついた時からパパとママを「パパとママ」と思ったことがなかったように思う。
彼らは人間で、私の客だ。
私はパパとママを動かすし、元気にさせる。
人間のことを考える。
姉と話してて本当に心が変わるくらいに嬉しかったことがあった。
「私は革命家になる」
と泣きながら言ってくれたことだ。
嬉しくて、涙が止まらなくなった。
そうだ、私たちは革命家になるんだ。
みんなをしあわせにしたいね。
2人で革命家になろうね。
ありがとう、お姉ちゃん。
テーマ
“俺、歌やポエムの永遠のテーマは、セックスとデス(死) だと思うんですよ。"
と仰ってると先輩が伝えていました。
確かにそうだと思う。
セックス=性と、死。
生と死とも取れると思った。
でも私は、そんな風に今まで多くの偉人たちが問うてきたテーマについて以外にも考えていきたいと思った。
しかし草野マサムネさんは、それを『永遠のテーマ』と言っているだけで、それだけがテーマであるとは言っていないのが厄介である。
ほんとに的を得ている。
性と生と死、それ以外のこととは逆になんだろうか。
恋は性なのか。
私たちが今生きているということについては、いつも死が隣り合わせにある。
死があるから生がある。
人生についても然り。
じゃあ金はどうだろうか。
私のあとのテーマはお金があるんだ。
朝の満員電車に乗ってるスーツ姿のお兄さんたちは、全員揃いも揃って何の為に毎朝動いてるんだ。
考えてみると異様な光景だ。
じゃあ彼等はどこに行くのか。殆どは会社に行くのだろう。
会社に行って、働いて、お給料を貰う。
みんなみんな、お金の為に動かされてお金の為に動いてるんだ。
高校生の頃、そう思うと酷く怖くなった記憶がある。
みんなお金に動かされている。
それはあるいは妖怪的な存在なのか、
無であるのか。
であるならばみなが無の為動いている。なんと恐ろしいことだろう。
つまり私はなぜ生きているのかを考える上で、死ぬのに、なぜ金を稼ぐ。なぜ計画を立てる。なぜ、、なぜ?という疑問がわんさか湧いてきたりする。
死んだらそれは意味のないものになるのに。宇宙からの視点(というと何とも馬鹿らしいか。)から見るとなんの意味もないように思えるもの。
なぜ金の為に人は動かされるのか。
金の為に安易に人格まで変わる。酷く恐ろしい。
しかし金の怖さはさて置き、サラリーマンたちは
「家で待っている家族の為に動いてる」
というとなんと聞こえが良くなるだろう。
つまり愛だ。
愛が人を動かし、愛が働きの原動力となる。
永遠にそうであって欲しいと願う。
全ては真実の愛であって欲しいと願う。
性もそうだ。
気持ち悪いセックスは無しにして、性欲だけのセックスや誰かが傷付くセックスは無しにして、愛の為だけに動いて欲しい。
世界がそう回れば、私の悩みも、君たちの悩みも少しはマシになるかもしれないし、なくなるかもしれないだろ?
金や性欲やステータスの為に人が動いていると思うとほんとに怖くなるから、教えて欲しい。
僕は愛の為に動いてるよ。僕は、帰りを待つ娘の為に、僕を愛してくれる奥さんの為に働くんだ。
誰か私にそうだと言って欲しい。
じゃないと人生が怖くなる。
なぜ生きているのか怖くなる。
私たちは試されているのかもしれないよ。
なんで動いてると思う?私たちって。
やっぱり原点は生についてに戻ってしまったりするね。
でも他にも疑問なことが私にはいっぱいあるんだ。
人には知らないで死んでいくことが山のようにある。
むしろ、何十年も生きてきて、人間的にはもう限界だと思うところまで生きて、知ってることの方が断然少ないんだ。
悲しいけどね。
沢山の自然のことや世界のことを知りたいと願う。
自己紹介
1人になると悲しくなる。
この感情はなんだろう。
元々、初対面の人と話すのが苦手で極度の人見知りの私は『キャラクター』をつくろうと思った。
わたしは大学生になって
明るくて天真爛漫な今の『小夏』という
キャラクターを選んだ。
キャラクターがないと今でも人とうまく話せない。
どんな話をしても君たちはその完成品しか見てくれないなと思う。
わたしが作り上げた人格なのだから仕方がないのだろうとも思う。
こういう、人格が本来の自分と異なる時は私は自分を俯瞰している。
第三者として、自分が見える。
そして周りの人たちが何を求めて何を話したいのかが手に取るようにわかるし考えてしまう。
それに応えようと考える。
私といるとみんなが楽しいと思って欲しいし、小夏は楽観的で楽しい人間だと思って欲しいのだろう。
私のエゴ。
私は末っ子で、
姉はよく怒って泣いていた。
母親もそれを見て悲しくなって泣いていた。
父親は無関心でたまに家族の輪に入っては怒っていた。
家庭の中で、家族みんなの機嫌を取るのはわたしなのだと小さい頃から自覚していた。
みんなのハシゴになる。
みんなが好きそうな自分になる。
今思うといつの間にかそれが、癖になっていたんだろう。
学校でいじめられて無視され続けた日々も帰ったらまず玄関でとびっきりの笑顔をにこーっと作る。
リビングに上がって、「楽しかったー!」と一声。
これが日常になっていた。
毎日が過ぎていくのをただただ感情のないまま待っていた。
この苦痛がいつ終わるのかと待っていた。
姉は学校であったことを全部母親に話していた。
悲しかったこと、ちょっと嬉しかったこと、誰かに睨まれたこと、全部全部話していつも泣いていた。
そんな中でわたしは自分の話なんてできなかったし、みんなが笑顔になったら私のいじめも終わって全部が仲良く楽しくなると思っていた。
だから嘘の楽しい学校の話をしてみんなを安心させるんだ。
泣くのはみんなが寝てからか1人で散歩に行った時だった。
止めどなく、涙が溢れてくる。
家に帰ったら玄関で笑顔を作る。
この永遠ループだ。
幼い頃から家でも学校でも人の顔色ばかり伺って生きてきた私は、ある時自分がなくなった。
もう1人の自分が見えるようになっていた。
それからは小学生の頃から割と賢く人付き合いをしていて、話している人が一人一人求める友達像になっていた。
私にとってそれは全然苦じゃなかった。
そうじゃない生き方を知らないからだ。
今もそれは続いている。
でも前よりは人格が統合されたような気がする。
その人に対して一人一人ではなくその場に対してに変わった。
するとどうしても、その中の1人に合わないとズレを意識してしまう。
そう言えばこれは私じゃなかったな、と強く認識してしまう。
そうして団体にいる時にそれを自覚してしまったらいきなり、悲しくて仕方なくなる。
自分の発する言葉が全部気持ち悪く聞こえる。
周りを見ると人は人であって今までの長い年月に焦りを覚える。
自分でも元来の自分がわからない。
第三者として自分のことを見えていない時に元来の自分なのかなとも思うが、わからない。
これをもし、誰かが読んでくれて私のことをわかってくれたらいいなと思いながら書いてる。
わかって欲しいんだろう。
私だって人間だし、私だって嫌なことは嫌だなと思う。
でもみんなでいる時はみんなが知ってる私でないとだめなんだ。
私だってみんなの前で泣きたいなぁ。
悲しい時に泣きたいしみんなに慰めてもらいたい。
そんなことを自分から言えない弱さが私を苦しめているんだね。
周りの泣いてるあの子や人に怒れるあの子が羨ましくも思う。可愛くも思う。
守ってやりたいとも思う。
私のこともいつか自分で守れたらいい。